362( ´∀)・∀),,゚Д)さん2019/06/30(日) 01:26:20.40ID:BwFTu4BS0
1人称視点と3人称視点

自分の書く文章の多くは、1人称で、要するに「俺」とか「僕」とか「私」とか。
一人の主人公を中心に書いて、書くビジョンも感覚も感性も、その主人公の見たもの感じたものだけに絞る。
主人公の見れない場面や敵の謎は、主人公が憶測してイメージするしかないし、それを超えた作者からの描写は省く。
それで何がイイかというと、読者は主人公にダイブしやすいというかライブ感があるというか。書かれていないからこそ、謎とかスリルを生むとか。それを主人公と読者が一緒に……
ようわからん。

スタッカートも、基本的に1人称で書いています。でもそれはバトルモノでは異端な気がします。
やはりバトルモノは三人称で書く方が合っていると思います。

現在、バトルモノで先端を走っているのが、ホリアイですけれど、そこでその視点の違いみたいなのがズバリと出たシーンが、
合ったような気がしますよ。
もちろん、それは自分の一方的な思い込みであって、そのくせ十分にしっかりとは読んでない流し読みのてきとーなもんなんですが。


スタッカート 「1パーセント」
http://a0014028.html.xdomain.jp/sta3no4.html

HOLE EYE 第3話 Part4
https://note.mu/oyobin/n/n288c9ae3a22e


何処だと思います?
クオリティの違い……自分のヘタレてるなー。ってのはもちろんそうなんですけど。

自分はクレアという主人公を通して物語をバトルを描写している。
だから、同時期に別地点で行われている「ギコVSピアノ」戦の描写はばっさりとカットしている。
勝敗はギコで決まったのだけど、その勝つ瞬間も描写していない。

ホリアイさんの方は、反対に、流石兄弟のそれぞれのバトルを描いている。
カメラが二つあって、兄者と天使、弟者と狂人、どちらのバトルも描写していて、それをリレーするようにテンポよく連ねている。
カメラが二つというよりも、作者のカメラ(これも違うか)、なんというか神様のカメラ、天にカメラがあって、
それが物語全体を映そうとしているように思える。

自分のは要するに描写しない、ってことは描写不足ではあるんです。けれど。
それなりにそれを利用しようとしていて、ギコが描写されないことで、彼が駆けつけてくれるかわからん故のスリルを書こうとして、
そういうのがソプラノリコーダー登場のショックだったり、ギコがヒーローのように突然駆けつける驚きだったり、
そういう演出はしたはずなんです。したのかなー。
自分の場合、この章のバトルは他のもので薄めたら、迫力はなくなるかなとも思っていた。あるていどギコの方は先が見えるからな。


反対にホリアイさんの方は、流石「兄弟」というどちらも欠くことのできないキャラを配置して、
どっちも書くことで、どちらかが殺られる可能性とかを微妙に含ませて緊張感を生んでいる。

ホリアイ自体、イビルのような主人公ギコを中心とした成長物語というよりも、誰がどうなるのかわからない群像劇、とか。
大きな流れを書こうとしていてそれぞれの小さな人たちの小さな流れが……
ここらへんわからんなー。なんか書こうとしているものは、神様のカメラじゃないと書ききれない気がするんです。ようわからん。


だから、どちらが優れているかじゃなくて、どちらにもどちらの良いところがあるし、
その良いところを活かす仕掛けや仕組みを作ることで、その良さが引き立つのではないかーってって。

ホリアイさんの方がイイってのは、確実に自分のAAの拙さ、バトルモノの経験値や相性の無さ故なんですけどー。
んー、そのぶん、自分はギコ戦をカットすることで労力とコマを節約できたし、その分を主人公と悪役に注いdeていこー。
あー、なんだー、自己卑下しつつ、やっぱり自画自賛している。あー、醜いなー親父心ー。
Rock54: Caution(BBR-MD5:755aa15258c20ecba7a8e84823082731)


363( ´∀)・∀),,゚Д)さん2019/06/30(日) 02:01:46.99ID:BwFTu4BS0
あのバトルモノで、主人公以外のバトルで、光る瞬間ってあるんだよ。

>>320
先のリゾットVSドッピオ戦、なんて主人公サイドはあまり出てこない外野のバトルだからこそ、輝いた一戦だし。

自分の思う、主人公バトルモノで、主人公と逸れたライバルをクローズアップしたのが、「宮田VSジミー」「真柴VS木村」戦など。
本当に輝いていた。
たぶん勝敗が分からない、死んでもいい、主人公じゃないからこそ出来る冒険感、とかスリルがあった気がする。

でも現在のはじめの一歩は、終わり時を見失ったかのような末期状態で、主人公の一歩は引退し、サブキャラ同士のバトルが3戦、4戦と延々と続いている……

その本来は省かれるバトルを描いたその手腕が、いま陥っているその倦怠感、スリルの無さや芯の無さ、方向性の見えなさとか、いろんなものが染みる。
ディスってるけど、その脇キャラ同士だからこそ輝く一戦というのはあって、その輝き故に、はまってしまったのか。嗚呼、デンプシーロール。

それはバキとかね。最大トーナメントとか最凶死刑囚とか物凄く盛り上がったけれど。
そこで登場した肥大したキャラも含めて、今は苦しんでいる感じがする。

鳥山さんは上手かったよ。
ドラゴンボールの天下一武道会とかサイド同士のバトルの代表例だけど、武道会も青年編のはじめでケリをつけて繰り返さなかったし。
ベジータ襲来とか、今までの脇キャラをためらいなく殺して、阿鼻叫喚を作ってさ。
ヤムチャ化とかディスる人もいるけれど、バトルモノで初期や人気キャラにページを一杯さいて同人的に見せ場を残し続けるよりも、さっと捨てキャラだと見切る。
そのイチケン、冷徹な判断のように見えて、必要以上にキャラを物語全体の老害化していない温かさを感じる。
ドラゴンボールの今の成功だって、あんまり人気の出なかったゴハンにこだわり過ぎないその潔さにある気がして。

そんな感じでディスってきた。

もちろん神の視点で、主人公以外のいろんなキャラのバトルを描いて、輝く作品もあって。
それは藤田和郎さんの「うしおととら」と「からくりサーカス」なんだろうけど。
それはどうしてかというと先に挙げた主人公じゃないから出来る、そのキャラが負けるというのを書けて。
藤田さんはキャラをどんどん殺してしまうし、その殺し方には美学があって、その信念とかを込めて散らせるのだけど。
散るから美しいんだよね。
藤田さんの人を殺せる信念と描写力と、群像劇の相性の良さ。

反対に同人的に(あー、なんかすげー偏見あるなーこの言葉―。でも使っちまおう。自戒も込めて)このキャラもこのキャラも生かして輝かして幸せにしようと、
クラスの演劇発表みたいにみんなに見せ場を見せたいなーとか、そういう甘い気持ちがあると、かえってキャラを殺してしまう気がする。


ふりかえれば、先のホリアイも流石兄弟は負け戦をしているんだよなー。
でも、ホリアイで人が死に始めたらショックだし、作風も違う気がするし、でもキャラが増えすぎて大変そうだし、散り際の美学も見たいし。
いや、なんだか、そういうアイドルはぁはぁな野次馬でのぞいちゃってすいません。

でもワンピースとか振り切られたのって、そこらへんのキャラを殺せない増えすぎゆえのだるさとか。
藤田さんのアニメ、うしおもからサーも、あれだけ殺して、いろいろやると、ページ数使うから、アニメじゃやっぱり3クール使っても描き切れなかったからなー。

ものすごく三人称バトルって書くの大変だってのはなんとなくわかる。
だからわたしは止めました。絵のついたカメラという言葉を使うとしたら、それこそ神のカメラ付きのAAでは三人称こそ最も相性がいいのだろうけど、わたしはヤリマセンデシタ。
えへへー、めんどくさいもん。怖いもん。

わけわかんなくなったので、ここで。


あと、カットが出来る一人称で自分のはあんまり良い例じゃないので、最新のカットですぐれた作品を。

【袂を分かつとき】
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/sports/3246/1560064977/

ここで上手いのは、母親の死を書かない。
あるのは最後の生きている会話シーンと、そこからすでにイナクナッタ死体のシーンに飛ばす。
それは主人公の見えているものを貫いたともいえるし、その死を敢えて立ち会わない主人公のキップの良さ、優しさのような強がり。
立ち会えなかった悲しさとかもスパイスになるし、何よりも読者がイメージする母親の高貴な臨終シーンの美しさは、きっと。よくわからん。
遺言を言って直後アボーンするシーンを書いたら、消えてしまうだろう美しさ。


364( ´∀)・∀),,゚Д)さん2019/06/30(日) 02:04:50.07ID:BwFTu4BS0
とかなんとか、現在進行形のAAには自分はあんまり感想を書けないし、有益でもない気がして。照れちゃうし。
でも、書いちゃった。
長編板で名無しで、一言コメントのこせるようになってきて、前よりは軽い名無しさんになれてる気がします。


365( ´∀)・∀),,゚Д)さん2019/06/30(日) 03:32:01.14ID:BwFTu4BS0
夢うつつに反省したのだけど。
上の考え方はちょっとごっちゃになっているので注意されたし。


主人公の思っていること、感じていることを中心に、それ以外は極力省こうとするのが一人称の力学として。

1 主人公以外のバトルを描かないことと
2 1人称的にバトルを描くこと

の二つが自分では整理されていなかった。


10.Hisoka vs Gotoh.mp4
https://www.youtube.com/watch?v=9atNYA8DpO0

ハンターハンターのこのバトルでは、1は当てはまらない。サブキャラ同士のバトル。ゴトウなんてゲスト的な役割だし。
そのシーンではキルアとイルミの追いかけっこが物語の中心で、その意味でもちょっと番外的。


でも描写的には、漫画とかアニメでは珍しく、1人称の色がかなり濃い。

ちょっとだけヒソカ視点も感じるけど、基本的にはゴトウの心理を追うように展開し、ヒソカの心理はあまり描かれず、ほとんどゴトウへのセリフになっている。
徐々にゴトウ視点で読者も見るようになり、ヒソカが木々を飛び交いそれを惑い追うシーン、コインに注視して撃墜しようとするシーンは「読者=ゴトー」の一体感が強い。
1人称としてゴトウ視点で書かれている感じがする。
それは途中で挟まれるなぞなぞにもあるし、読者はヒソカの答えなどわかるはずもなく、ゴトウと一緒に謎解きに戸惑うミステリ仕掛け。

このシーンで漫画の位置づけは、アリ編で存在感の薄れたヒソカの強さの再確認。だと思うのだけど。
それをヒソカ視点で、優位に運ぶヒソカの心理や行動にピックアップさせず、被害者の視点で書くことで、殺しの非情さ、書かないことによる底の知れない強さの深さ。
とか出ていると思う。

だから、ゴンや物語のその時の中心のキルアの大きな視点とは離れているけれど、ゴトウの1人称視点によるバトルって感じもする。
わかりずらいね。


これもサブキャラ、死んでほしくないキャラが死んでしまうバトルだけど、自分はこういうのが好きなんだろうね。
反対に、「るろうに剣心」のジンチュウ編のラストのサブキャラバトルとか緊張感が無くて駄目だったようなタイプだった。最後にこのサブキャラ活躍させたいんだろうなって。四星とか。うろ覚え。